カボレ物語の最近のブログ記事

このコンテンツは韓国語サイト SPOERT2.0 のカボレのコリアンドリーム意訳したものっす。
おかしいなと思う箇所は心の目で読め!とりあえずこれで終わり。
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Kリーグの歴史で得点王になった外国人選手は、過去3人しかいない。
カボレはそれに続く4人目に名を連ねることが有力だ。(実際そうなった。)
またKリーグでプレーする外国人選手の間では、最優秀選手(MVP)に挙論されている。
ここまでの成績を考えれば当然だろう。
もし得点王とMVPを同時に獲得すれば、
それはKリーグの外国人選手としては初の快挙となる。
しかしKリーグでMVPを獲得した選手は、過去にひとりしかいない。

成功はまた他の成功を呼ぶ。そして周囲の環境も大きく変わる。
しかし賢いカボレはそんな中でも有頂天なることは無い。
ショッピングも生活用品を購入するくらいだという。

家で幼い二人の息子と遊ぶことと、聖書を読むのがカボレのプライベートである。
カボレ「ブラジルにいる家族を養わねばいけない。
給与の 90%をブラジルに送金しているんだ。
家族に安定的な生活をもたらすためにも、今後も努力を続けていく」と語る。

カボレの一番の目標は、ブラジルに家を建てることだという。
カボレは自分のノート・パソコンに保存された写真一枚を見せてくれた.。
友達であるナドソンの家だった。
ナドソンが Kリーグで成功して大きな家を建てたのが羨ましくて、
自分も大きくて素敵な家を建てるという計画だという。

カボレは慶南と来年まで契約したが、レンタルなので去就は不透明である。
慶南は完全移籍を希望しているが、まだ確定ていない。
今年のカボレの年俸は、Kリーグ外国人選手たちの年俸の中最低水準であり、
非常に安いものだった。

実際にカボレ獲得に興味を持つKリーグのチームが複数あるという。
「家族みたいな雰囲気の慶南でプレーするのが、僕にはあっている。
 しかしまだはっきりと決めたわけではない。
Kリーグを代表する最高のチームでプレーするということは
サッカー選手として当たり前の夢だと思う。
もちろん慶南も良いチームではあるけれど」と去就については言葉を濁した。

将来的にはヨーロッパでプレーするのが夢だという。
しかしその前に、Kリーグで最高の選手になる目的を持っている。
カボレは「今すぐ去るつもりはない。韓国は素晴らしい。
私にはじめて成功をもたらせてくれた、大事場所だ。
できるだけ長い間 Kリーグで活躍したい」と語ってくれた。


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おかしいなと思う箇所は心の目で読め!
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「ブラジルで初めて見た時には 、(カボレの)ゴール前の動きと決定力は
あまり良い方ではいと思っていた。しかしそれは私の見当違いだった」
バク・ハンソ監督の言葉通りカボレはゴールを重ねるだけでなく、
アシストも記録するようになってきた。
シーズン開幕前に監督から目標ゴール数を聞かれたカボレは、「25ゴール」と答えたという。
(東京と同じ答えですね www)

4月29日ソウルワールドカップ競技場でのFCソウルで、カボレは2ゴールを決めた。
この頃から、Kリーグの他チームにカボレの名前が知れ渡り始めた。

カップ戦で敗退した慶南はリーグ戦にのみ注力できるようになり、
カボレにとっても体力面で余裕ができるようになってきた。
ソウル前以後、カボレの快進撃は続いた。
ゴールだけでなくパスやドリブルなどで相手守備陣を混乱に陥れ、
誰もカボレをとめることができなかった。

チームメイトのキム・ソンギル(24)は
 「カボレはパスをすれば、必ずゴールを決めてくれる」と
信頼感を寄せるコメントを残している。
カボレの活躍で慶南は、わずか1年で攻撃力を売りにするチームに生まれ変わった。

カボレの長所はゴールだけではない。
相手選手を自分にひきつけスペースを作り、
味方にアシストを提供するのも彼の持ち味のひとつである。

7試合連続得点機会演出(ゴール&アシスト)で
一息つくと思われたカボレの快進撃は、止まることを知らなかった。
1試合開けたあとの大田戦からは9試合連続得点機会演出の大活躍を見せた。

これだけ大活躍を続けたにも係らず、カボレは奢ることが無かった。
「確かにうれしいが、この成績だけでも充分に満足だ。
Kリーグに私の名前を残すようになって幸せだ」と自身の活躍を端的に語った。

続く
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ビザの関係でチーム合流が遅れたカボレは、
チームメイトとの連携を深める間が無いまま、
Kリーグ蔚山との開幕戦のスタメンに名を連ねた。
開幕戦では後半40分にポポのフリーキックをヘディングで決め、1-1で引き分けた。
順調な滑り出しを見せたカボレであったが、その後苦悩が続くことになる。

ブラジル以外ではじめて暮らすカボレにとって、
韓国の天候、食文化などすべてのものが初めての体験であった。
特に食べ物の味付けはブラジルよりもはるかに塩辛く、
慣れるまで非常に苦労したという。

ホームシック程でないにしろ、ブラジルに置いて来た家族の顔が目の前にちらちらした。
妻ジュリアニが付き添っていたとはいえなかなか気持ちが休まらず、
睡眠すらもまともに取れない状態が続いた。

体調面では不安を抱えながらも、試合ではゴールで結果を出し続けた。
3月17日仁川ユナイテッドとのアウェーゲームで決勝ゴールを入れて
チームのシーズン初勝を導いた。
また4月15日の釜山戦では、2ゴールの活躍を見せた。

慶南には、同じブラジル出身であるポポ(柏)とサントスが以前からプレーしており、
カボレを献身的にサポートした。
韓国滞在暦が長い彼らはカボレにとって最高の先生だった。
ポポとサントスはいつどこでもカボレと一緒に出かけた。
食べ物についてもブラジル料理に近い食材を選び、少しずつ慣れていった。

ポポとサントスからは、テンポが早くてフィジカル面でのプレッシャーが
大きいKリーグの適応方法と、
相手選手ひとりひとりに対する細かいレクチャーも受けた。
食文化にも慣れ、相手選手のことも分かるにつれて、
カボレはKリーグにすさまじいスピードで順応していった。

カボレは 「Kリーグに適応するのは、本当に大変だった。
ポポとサントスの助けがなければ、これだけの成績は収められなかった」と語っている。

続く
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慶南のバク・ハンソ監督はカボレのことを
「僕のかわいい子猫ちゃん(天からの贈り物)」と言う。
キリスト教信者である朴監督は
「神様が私の悩みを解決するために送ってくれた宝物だからね」と説明した.

カボレと慶南の出会いは劇的だった。
慶南がブラジルのクリチバでキャンプを行った際、何人かのブラジル人選手を、
練習生としてキャンプに招いていた。その時慶南には、外国人枠がひとつ空いていた。
朴監督を含めたコーチングスタッフが直接選手を見て、入団選手を決める事にしたいたのだ。

慶南は攻撃力に課題があり、外国人エースストライカーの獲得を目論んでいた。
しかし練習生として参加したブラジル人選手は皆帯びに短したすきに長しで、
監督たちを満足させるには至らなかった。

ブラジル人エースストライカーの獲得計画が頓挫しかけたその時に、
パク監督が偶然にサンパウロ州リーグ戦をテレビで観戦した。
イトアノーとパルメイラスの試合だった。
その試合はパルメイラスが終始ゲームを支配していたが、
朴監督はイトアノーの背番号11番をつけた選手が、非常に気になった。
その選手こそがカボレである。

カボレはその試合、攻撃型ミッドフィルダーとして参加していた。
左サイドの攻防で相手選手3人に囲まれながらも
持ち前のスピードで突破したプレーを見た際に、監督は獲得を決めたという。

コーチングスタッフは翌日の会議で、カボレ獲得を決心した。
早速スタッフがサンパウロに飛び、カボレに対してオファーを出した。

慶南からにオファーに、カボレは仰天したという。
韓国の印象といえば、2002年にワールドカップを開催した国という以外に、
何も持ち合わせいて無かったという。
また同時に、コリンチャンスからもオファーを受けていた。
コリンチャンスはブラジルリーグのトップチームではあるが、提示条件はそれほどよくなかった。

慶南とコリンチャンスのオファーのどちらを受けるか悩み続けたカボレは、
名よりも実を取る決意をした。
慶南に入団受託を伝えたのは、チームがキャンプを切り上げて
帰国便に乗り込む直前だったという。

「家族に安定的な生活をもたらせたかった。
また、ブラジル以外でプレーしてみたい気持ちもあったので、
慶南からのオファーを受けることにした。」とカボレは語ったという。

続く
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サルバドーレで暮らすカボレとって、サッカーボールを蹴ることは唯一の楽しみだった。
貧乏のためにあきらめることは多くあったが、サッカーだけはあきらめなかった。
また実力も中々のものであり、街の中の誰よりもボールの扱い方は上手だった。

カボレはサッカー選手になることに心に決めていた。
しかしブラジルでサッカー選手で成功することは決して易しくない。
全国 1部リーグ有名プロチームのユースに入ることさえ
針穴を通してパスするぐらい難しい。

サルバドーレの中では一番であっても、
当時のカボレには有名クラブのユースに入るだけの実力は無かった。
そのため地域の小さなクラブで、カボレはサッカーのプレイを続けた。

青年になったカボレは地域下部リーグのアマチュアクラブで活動を続けた。
平日に何日か練習をし、週末には試合をこなす日々だった。

多少の給与は出るものの、家族たちを食わすほどに稼ぐことは当然できない。
だからサッカー以外に他の職業やアルバイトを持つのが、
大半のアマチュア選手の事情である。
しかしカボレは家族の反対もあり、クラブでのプレーだけに専念していた。
両親だけでなく、プロを希望していたカボレの兄も、
カボレがプロになるために身を粉にして働き家計を支えた。
家族の献身的なサポートの下、
カボレはサッカー選手で成功するいう思いをますます強めていった。

貧民街出身からスターになったロナウドこそが、
カボレにとっての憧れのプレーヤーだった。
ロナウドの出場する試合は、もらさず全て見たという。

画面が鮮かではない旧式テレビだったが、カボレの目にはロナウドのプレーがあざやかに見えた。
テレビで見たロナウドの動きを、頭の中に描きながら、真似るのことを繰り返した。
家族の献身的なサポートと、絶え間ない努力の中に早く成長する自分を感じることができた.。

2003年全国 3部リーグスカウトの目にとまり、カボレはついにプロ契約を交わした。
サッカー選手としてはかなり遅い 23歳の時だった。

デビューは遅れたが、誰よりも短期間で実力を磨いていった。
2005年地域リーグ得点王になり、サンパウロ州リーグのイトアノ?(全国 2部リーグ)に移籍した。

続く

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カボレはブラジル北東部にあるサルバドールの貧民街で生まれた。
その街は、大変治安が悪く生活水準は劣悪だった。

更にカボレの家庭環境もひどいものだった。
極貧によりまともに教育を受けることもできず、
街では毎日あちらこちらでけんかが起きていた。

カボレもけんかに巻き込まれたことがあるという。
むしろ闘わなくては生き残れなかったとも言える。
「幼いころ喧嘩でおった傷が、未だにずきずきと痛んだりする」カボレはと言った。

そんな環境の中でも、カボレは自分を見失わずに将来に思いをはせていた。
「当時はとても貧しくて、生涯で一番不幸な時期だった。
しかしその時身につけた家族の助け合いの精神が、今では宝物です。」 

続く